
前回の記事から夜が明けて、AM6:30 。
僕は空を飛んでいました。
(飛行機ちゃんと乗れたよ!褒めて!!)
朝早すぎなので、寝ては窓の外の景色を見て、
また寝て、また外の景色見て、また寝て…だんだんと街が見えてきた!!!!!
2カ国目!カンボジアーーー!!!
カンボジアでは、ビザが必要です。
ネットや郵便、いろいろな方法でビザを取得できるんですけど、
何か面倒くさかったのでアライバルビザ(現地で取得するビザ)にしました。
でも、僕みたいに引くほど手際が悪いと、いろいろ記入してる間に最後の一人になってしまうので、
みなさんネットで申請しましょう。
と、いうことで!!
はじまりました!カンボジア1日目!!!!空港を出てすぐ、トゥクトゥクで市内にある宿を目指します!!
トゥクトゥク初めて乗ったけど、快適じゃあー!!!
でも注意してないと、
バイク運転してる人が横から荷物を引ったくる事件があるらしい…。
そんなこんなで、宿に着きました。
Krorma Yamato GuestHouse!!
この旅、初めての日本人が経営する日本人宿です!カンボジアの情報収集しよう!!!
部屋はドミトリー(1部屋をいろんな人と共有して寝るタイプ)
で、2泊と空港までの送迎で20$!!
シャワー浴びて、だらだらしてると大学生が声をかけてくれた。
大学生「はじめまして!キリングフィールド行きません?」
僕「い、いい、いきなr…行くううぅうぅぅう!!!!!!!」カンボジアに来たら行かなきゃならない場所だと思ってたので、二つ返事で。
と言うことで、同じ宿に泊まってた一人旅同士の男6人で、いざ!!!!!
入場料と日本語の音声ガイドで、6$。
ここまでは元気でした。
みなさんカンボジアのキリングフィールドって知ってますか?
カンボジアが、ポルポト政権下だった頃に大量虐殺が行われた刑場の跡地です。僕は空港でカンボジアのことを事前に調べてたので、知ってるつもりでいたんですけど、
実際に訪れてみると、言葉を失いました。
ポルポト率いるクメール・ルージュという政党は、
原始共産主義(階級や格差の全くない原始時代の状態に戻そうとする考え)を掲げた。
「知識は人々の間に格差をもたらす」という考えから、
「国を指導する我々以外の知識人は自国には不要」と考えた。
ポルポトは、農村部のまだ何の思想にも染まっていない13歳以下の子どもを、
兵士や医者や看守に適任した。
なぜか?大人のように知識があまりないから、自分の思想に染めやすいから。
そうやって、子どもが大人を処刑し、
子どもが大人を監視し、
字も読めない子どもが手術をすることになった。
「これから新しく住む場所に行くぞ。」
そう言われて、処刑の対象であるポルポトの原始共産主義に反対する可能性のある知識人や、
農村から都市部への移民、ただ本を読んでいる人や、
メガネをかけてる人でさえも知識人とみなして連行しました。もちろん、新しく住む場所になんて行くわけもなく、
目には目隠し、両手は後ろで縛られ、そのまま処刑場へ。
銃弾は高価なので、身の回りにある様々な物で人を殺めました。
ハンマー、ナタ、ノコギリ、くわ…
それとこのヤシの木のノコギリのような部分。
本来は、このヤシの木のギザギザの部分を使って鶏の首を掻き切っていたんだけど、
それで、当時は人の首を掻き切っていたという。
このあまり大きくないスペースの穴の中からは、
450人もの遺体が発見されたらしい。
それだけ多くの数の死体をひとつの穴の中に埋めたので、
死体から発するガスで被せた土は盛り上がり、
地面が裂けて、外には酷い臭いがしたそう。
ここからは、首のない死体が166体も見つかったそうだ。兵士であっても、少しでも原始共産主義に不平を言った人、
逃げ出そうとした人は殺されて、首はその見せしめに。
そして、この辺りが最も聞いてて辛かった。
ここは主に女性が埋められていた埋葬地。カンボジアの女性は慎み深くて、
今なおシャワーを浴びる時も衣服を着たままのこともあるんだとか。
それを承知の上で、女性は殺される前に裸にさせられて、
人によってはそのまま性的暴行を受けたんだそう。
その埋葬地には女性の次に乳児も埋められていた。
兵士は乳児の両足を掴んで、この木に頭を打ち付けて殺したのだという。
そんなこの木の名前は「キリングツリー(殺しの木)」。
当時はこの木や木の周りに、髪の毛、脳みそ、血痕などがついていたそう。
木にはたくさんのミサンガがかけられていた。 見学者が安息の祈りを込めている。
そして、この一際大きい木にはスピーカーを設置して音楽を流していたそう。夜、人が殺されている断末魔の叫びが聞こえないように。
これが、約30年前の出来事。
これによって、カンボジア全人口の800万人の内、
300万人が処刑されたという。
僕は、この音声ガイドを聞き始めてから1時間、一言も声が出なかった。
これは昔ではなく、たった30年前。僕が生まれる少し前の話。
帰りのトゥクトゥクでは、みんな静かだった。
周りを見ると、確かにカンボジアの人は若い人が多く、年寄りが少ない。
そんな現状から、より一層リアルを感じた。
僕はこれから観光ビザの有効期限(30日)まで、カンボジアを旅すると思う。
カンボジア人の笑顔を撮るなら、
こうした歴史的な背景も知っておかなきゃと思って、ここにきた。
屋台のおばちゃん、トゥクトゥクのおじちゃんはよく笑ってるけど、
その笑顔の裏にはやっぱり大きな悲しみがあって、
それを身をもって知った上で、写真を撮りたかった。
いつもポジティブでアホなことばっか書いてるブログだけど、
その国の楽しいところ、良いところだけを書くだけのブログは何か違う気がするので、
こうして記事にしました。
明日からはいつもの感じに戻るけど、
この深い悲しみを忘れないように。
にほんブログ村
*世界一周ブログランキングに参加してます。 こちらの世界一周バナーをクリックしてページが移行すると、ランキングが上がる仕組みになってます!応援の1クリックよろしくお願いしますm(_ _)m